みなさん。こんにちは。now3のアドレスでブログを更新している大東市の税理士・社労士の今西 学です。
昨日は、私の高校野球の最終試合の思い出を記事にしました。高校野球を3年間続けましたが、ずっと補欠だったことで、いろいろ挫折感を感じることがありました。その挫折感をどう抱えながらどう生き抜いてきたのか、今日は書いてみたいと思います。なお、挫折感とは、「期待通りの結果が出ずに失望する気持ち、挫折した感情」などを意味します。
1.挫折感なんて感じることがないならそれが一番
「若いときに挫折したら、その後の人生に役立つ」「挫折することで、弱い人の気持ちがわかる」そんなことを言われることがあります。確かにそれは一理あると私も考えます。
しかし、挫折感なんて味わうことなく生きていけるのなら、それが一番です。私の周りでも、親から税理士事務所を引き継ぎ、それほど困ることなく一定レベルの生活が出来ている税理士の先生が何人かいます。そのような人はきっと人生で大きな挫折を感じることなく生きていくのでしょう。挫折感を知らない人は、心がまっずぐに、また明るく生きれているので、とてもいい人が多い気もします。うらやましいです。
でも、両親は会社員という人も現代では多く、多くの人は自分の将来生きていく場所を、自分自身で見つけていかねばなりません。
そんなとき、うまくいかないことも出てくるでしょうし、挫折感を味わう人も多いのかもしれません。そのこと自体は、何かに目一杯挑戦したことの証なので、素晴らしいことです。しかしそれにより、心が折れたり、ねじ曲がったりするケースも少なくない気がします。
2.私の高校時代に抱えた挫折感
私は、高校で硬式野球部に入って、大きな挫折感を感じました。それまでは、身体は弱かったけど、普通に伸び伸びと育っていたと思います。しかし、高校で進学校に入学し、ガリ勉になるのは嫌だなんて当時は思って、野球部に入ったことから、苦しい日々が始まりました。
スポーツの世界は努力ももちろん必要ですが、才能によるところが本当に大きいのです。練習しても外野の前へゴロでヒットを打つのが精一杯な人もいれば、それほど練習しなくても、外野のフェンスを越えて、ホームランを打てるパワーのある人もいます。私は、当時身長170㎝、体重50㎏というひ弱な身体で、本当にヒットを打つのが精一杯でした。
少しでもパワーをつけたいと思い、自宅に帰ってからも素振りをして練習しました。でも、練習しても、上手い人には全然追いつけなかったのです。努力が大切とは当時も今も思っていますが、なかなか努力というものでは、カバー出来ない差がありました。
二年生の時の夏の大会が終わり、自分らの学年が最上級になると、同級生のチームメートが試合に出場するようになりました。試合に出る人は打撃練習も優先されるのですが、私は練習では球拾いなどの雑用、試合では補欠ゆえベンチで声出し。いつの間にか下の学年の選手にも抜かれていきました。たまに試合に出してもらっても緊張して、活躍出来ずでした。
同じ学年の中でも、レギュラーである花形選手とは、遠慮がちにしか話せなくなりました。また。二年生の冬には、足の臑の疲労骨折の疑いで、2週間ほど病院に検査入院。
努力をしても、レギュラーになるという夢は遠ざかるばかりでしたし、ケガという災難もふりかかる。努力をしてもうまくいかないことがあるんだと挫折感を一杯感じた高校生活でした。
3.どのように乗りきろうとしたか。
心が折れそうになっていたとき、どのようなことを考えたか?一つは、今から考えると恥ずかしいのですが、洛星高校はキリスト教の学校だったので、神にすがりろうという気持ちでした。別に洗礼を受けたとかいうのではありません。でも、「神は頑張っている人は助けてくれる」のではと思い、毎朝・毎晩簡単なお祈りの言葉を唱えたりしていました。すごく打算的なご加護も求めていたものです。結局は一時の心の支えにはなりましたが、祈ることで救われることはなかった気がします。
今は、キリスト教からは全く遠ざかってしまいましたが、人が宗教を信じる気持ちも当時の経験から少しわかります。なかなか思うように生きられなかったり、理不尽なことが襲いかかってくると、祈りたくなる、神を信じたくなるのも私は頷けます。
結局、私は、大学で関西を離れ、茨城県の筑波大学という全く違う世界へ行くことにより、新たなスタートをきり、救われた気がします。今から振り返れば、野球がうまくなれなかったことも大きな挫折でした。
が加えて、補欠として周囲に配慮して生き続けるという自分のキャラクターが確立してしまい、そのままずっと同じ学年のチームメートと付き合うのもしんどかったと言えます。 みんなが進学する関西の大学にいたら、ずっとそのキャラクターを引きずって生きていくことになる。それなら遠方の大学へ行き、一人で下宿して生きていこうと思ったのです。(親からはなぜ「筑波」を選ぶのかわからないと散々言われましたが・・・。最後は応援してくれました。感謝しないといけませんね。)
大学に入り、急に少し明るい雰囲気の自分に変化したのですが、誰一人知り合いもいなかったので、誰も不思議に思いません。大きな変化に気づいたのは、自分のみでした。そこで新たな自分を作れたことで、また違う生き方を見つけ、心の挫折感から開放されたような気がします。
4.今どのように思っているか?
挫折感を感じたとき、思うようにいかないときは、大学の時の私のように、思い切って環境を変えるのもありかと思います。それは場所的なものに限定されるのではなく、仕事であったり、つきあう集団であったりでもいいと思います。一つの分野でうまくいかなかったとしても、(自分では不本意な面もあるかもしれませんが)また違う分野で活躍出来る場合もあります。
また、スポーツの世界は、勝ちか負けかの二者に明確に分かれてしまいますが、一般社会ではそうではありません。ある人が仮に100点の勝ち組の生き方をしていても、自分は負け組の0点かというと、スポーツではないので、そうはなりません。
100点の生き方は出来なくても、コツコツ頑張れば60点ぐらいの生き方は出来るはずです。100点の人生ばかり見ず、自分なりの生き方をしながら、自分なりの点数をあげていくことで、挫折感を感じなくていきれるのではと思います。
もっといえば、スポーツの世界とは違い、ルールが明確に決まっていることばかりではありません。挫折感を感じる世界にいるなら、場所を変えるだけでなく、自分で独立して新しいルールというか、ニーズを拾い上げ、起業して生きていくことも不可能ではないでしょう。
とにかく、挫折感を感じると言うことは、一生懸命チャレンジしたということの証でもあります。昔の私のように、神に祈るという生き方もあるのかもしれませんが、なんとか自分なりに、工夫して挫折感を超えていってほしいと思います。
ただそれでも報われない人生というのもあるかもしれません。そんなときもなんとか自分の内面に意識を向けて、少しの進歩でも自分なりの喜びが見いだせるよう、生きていくべきかなと最近思っています。