私の高校野球最後の試合の思い出

みなさん。こんにちは。now3のアドレスでブログを更新している大東市の税理士・社労士の今西 学です。

第99回全国高校野球選手権大会は、埼玉県代表の花咲徳栄の優勝でフィナーレを迎えました。今は、あまり高校野球をテレビでも見ることは少ないのですが、私も高校生の時は、野球部に入って、甲子園を目指していました。

ただ、3年間(正確に言うと夏の大会までなので、約2年半)ずっと補欠でした。一応、3年生のときは11番の番号で、ベンチ入りもさせてもらったので、最後の夏の大会予選の試合は、グランドで迎えることが出来ました。今日は、本当に私的な話になってしまいますが、そのときのことを記事にしたいと思います。もう30年以上前の話になりますが。

1.最後の試合の試合経過

私の母校である京都私立洛星高等学校は、進学校であるのですが、野球もそこそこ強い学校です。府の大会では、何度かベスト4になっており、私たちが3年生のときもある程度の所までは勝ち進めると信じていました。

初戦で、出来たばかりの公立高校とあたることとなりました。油断したわけではないと思います。だが我がチームのエースだった投手の調子が悪く、6回(もしくは7回だったか)で大量失点してしまい、スコアが0対9となってしまいました。7点差以上になったので、次の攻撃で点数を3点以上とらないと、9回まで試合が行われず、コールド負けで試合終了となる状況になってしまいました。

そんな中、打者二人が凡退してしまい、あと一人アウトになってしまうと、試合終了となる場面で、私は代打で出場させてもらいました。(正直、打力がそれほど優れていたわけではないのですが、恩師の監督の最後の夏を迎える3年生への温情もあっての出場でした。)

2.すごい相手チームの勢い

右打席のバッターボックスに入ると、過去に何度か出場したことのある練習試合とは、雰囲気がまったく違いました。もちろん、応援団などの観客がいるのもあったのでしょうが、一番は相手チームの押せ押せの雰囲気です。相手校は前の回に連打で大量得点をし、あと一人で勝利するという状況です。もちろん目に見えるものではないですが、ものすごい勢い、パワーを投手を中心に、相手チームから感じました。

どのスポーツでもそうでしょうが、野球にも勢いや、試合の流れというものがあると言われています。まさにそんな相手の勢いをバッターボックスの中で、一人でもろに受けなければいけないという感じでした。これが、試合の流れというものか、と身体で感じつつ、気合い負けしてはいけないと思って、大声を張り上げてバットを構えました。

多分本当に相手が強豪校なら、勝ってても負けてても淡々と試合に向かってきたのかもしれません。ただ実力的にはそれほど強くない相手チームだったゆえに、余計に大量点をとった勢いの波に乗っていたのかもと思います。(そういうチームは、逆に逆境になると、もろさがでることが多いものです)

相手の投手はサウスポーの左投げです。一球目は見逃しのストライク、二球目はボール、三球目はカーブをファール、四球目は高めのボール気味のストレートをファール。高校3年間の思いを乗せて、ボールに食らいついていきました。

3.運命の5球目

次の5球目。ストレートが、低めに来ました。バットを振らず見逃してしまい、しまったと思って審判を見ました。きわどいところだったので、少し間があり、その後ストライクの判定。三振で試合終了となってしまいました。(後から、本当はボールだったのに、私が「しまった」という顔で審判を見たから、ストライクにとられたのでは?と親しい人から言われたことがありましたが・・・)

3年間、バットを振り込んでこの1打席が勝負だったのに、最後はバットを振ることもなく、三振に。チームのみんなに見逃しで三振してしまったことに対し申し訳なく、また3年間必死で努力したことを結果に出せなかったことが悔しくて、その場で崩れ落ち号泣したものです。私の記憶に残っている中で、多分生涯ダントツで一番涙したと思います。

冷静に振り返るとバットを振らなかったのは、ボールと思って見逃したことが原因ではありません。高めに視線がいっていたところに、急に低めにストレートが来て手が出なかったというのが正しい原因でしょう。「あっ」という感じでした。(野球を経験していない人にはわからないかもしれませんが・・・)

よく、プロ野球の試合で、見逃しの三振をした選手に対し、解説者が「打ちにいって空振りの三振はいいけど、見逃しの三振は消極的で駄目ですよ。」といっているケースがあります。しかし、見逃しの三振は、消極的と言うより、投手がいいボールを投げて、ボールに反応出来なかったときに起こるケースが多い気がします。だから、消極的云々は、少し違うのではないかと思っています。(まあ、プロのバッターはそれではいけないかもしれないですが。)

それでも自分が気持ちをもっともっと強くもっていたら、バットを振ることは出来たかも。当初はそう自分をどこか責めていました。

4.消えない記憶

以上の出来事はもう30年以上も前のことです。でも、ふとしたきっかけでたまに思い出しますし、今でもそのときのことは、頭の中で動画として残っている気がします。当初の頃のように、自分を責めることはなくなりましたが。

ただやはり悔しくて、胸がせつなくなる思い出でもあるので、もう忘れてしまいたいのが本音です。でもきっと生涯忘れずに覚えているのでしょうね。他のもっとそれ以上に印象的な出来事が起これば、上書きすることが出来るのかもしれませんが。出来ればいい思い出で上書きしたいところです。

ただ、考えてみると、夏の甲子園に出場出来るのは、全国で49校。その49校以外は、苦い思い出でとともに最後の夏の大会を甲子園に行けず終了しています。よって多くの猛練習に耐えた高校球児は、ほろ苦い思い・悔しさとともに夏の大会を終了しているのが事実でしょう。私は補欠だったので、一打席に思い出が集中し、より印象に残っているのでしょうが。

この出来事が、私の10代の一番の思い出です。他の人はどうなのでしょう?10代の一番の思い出はもっと楽しいことであるのが通常なのでしょうかね?

高校野球の決勝戦をみて、そんなことを思った一日でした。

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今西 学

今西 学

大阪の大東市(最寄駅:JR学研都市線の住道駅)で税理士事務所を開業中。(ホームページはこちら) このブログでは、税金・年金・お金の運用など日々の業務で気づいたことや、幼少の頃身体が弱かったことから常に健康で生きていきたいという思いで日々取りくんでいること等を記事にしています。 詳しくはこちら