公務員の職場から逃げ、またやむなく開業税理士となったからこそ前を見て頑張れてる!

みなさん。こんにちは。now3のアドレスでブログを更新している大東市の税理士・社労士の今西 学です。

正月はさすがに休みましたが、正月明けからずっとそこそこ忙しく、今週火曜日に相続税の申告書を提出してからは、少しホッとしたのか身体もへばってしまい、精神的にも疲れがたまっている状況になっています。

ただ、気持ちは切れずにがんばっています。今日ふと、なぜ気持ちが切れずに頑張れるのか?と自問自答していました。

その答えはもう自分に戻る場所がないから、後ろを振り向かず、前を向いて頑張るしかないという思いからきているのでは?と考えた次第です。

1.税理士を目指そうとしたきっかけは職場が嫌で退職したことが原因。

] 私が税理士を目指したのは、34歳からです。それまでは、大学卒業後、2年余り予備校事務の仕事をし、その後神戸市役所の地方公務員に奉職しました。

25歳の時から、9年間、神戸市役所で事務職として働き、神戸まつりのイベント業務や、阪神大震災の震災復興業務、市職員向けの健康保険組合業務の順に携わりました。

震災復興業務までは、すごくやりがいのある仕事だと思っていたのですが、その後配属された最後の職場で、いろいろな人間関係に巻き込まれたこともあり、すっかりやる気をなくしてしまいました。

肉体的にも精神的にも疲弊して、このままでは身体を壊すか、やる気のない一職員として定年まですごすかどちらかになると思い詰めました。そしてどちらの道も嫌で、市役所を辞めようと決断しました。

そう、まず職場を辞めようと決断したのであって、税理士になりたいからという前向きな理由で公務員を辞めた訳ではないのです。

辞めようと決断してから、地方公務員事務職という経験しかない自分が、どう生きていくか考えたのが、資格をとって、それを基に専門職として生きていくことでした。

(と書けばかっこいいかもしれませんが、実際には34歳で民間の仕事を全く経験していない自分が、民間企業の事務職として就職することは、厳しいというのがわかっていての選択でもありました。)

そこで、ある程度の年齢を重ねてからも目指せる文系の資格を調べ、不動産鑑定士と税理士を候補にあげました。そして、最初は税理士ではなく、1年で合格出来る可能性のある不動産鑑定士を勉強しました。

ただ、受験勉強を進めるにつれ、鑑定理論の収益還元法などの考え方が私には難しく、理系でない自分が、一流の不動産鑑定士になるのは難しいと思い始めました。

また年齢を重ねた未経験者の鑑定士事務所への就職が難しい現状がわかってきたこともあり、最初の受験での惨敗をきっかけに、もう一つの資格である税理士を目指すことに方針変更しました。

そう、数字が好きで税理士になったのでもなく、会社経営者を助けたいという強い使命感から税理士になったのでもないのです。

まず専門職として、これからの人生を生きていくという決断があり、そのうえで、消去法で選択し、勉強を始めたのが税理士試験の勉強でした。

2.絶対に独立しようと思っていなかった。でも独立しかなかった。

私が当初目指したのは、専門職である税理士として飯を食っていきたいということでした。よって、必ずしも独立することを決めていたわけではありません。

むしろ、営業は元々得意なタイプでもないですし、また営業経験もなかったので、正直言えば、独立することは怖くもありました。

もし勤務した税理士事務所で、いい先生に出会い、ずっと一緒に働こうということを言っていただければ、それはそれで自分に一番向いているのかも?と思いました。

私が得意なのは、営業ではなく、物事を深く考えることであるので、勤務税理士なら、そのことに専念出来るのでは?と考えたからです。

しかし、その自分の長所を活かせる職場には残念ながら巡りあいませんでした。資格取得に必要な2年間の実務経験を積むため、私が税理士事務所への就職活動をしていたのは平成17~20年ごろです。

その頃は、まだ不景気ということもあり、会計事務所への就職は本当に買い手市場でした。なかなか採用されず、採用されても、人の入れ替わりが激しい職場でした。

そういった職場は、忙しくて残業がかなり多いか、あるいは人間関係が難しいかどちらかの職場でした。

4箇所の会計事務所に勤務しましたが、結局、忙しすぎて、受験勉強をしながらでは身体が厳しいか、あるいは人間関係で精神的に追い詰められるか、のどちらかでした。

結果、いずれも半年~2年程度の短期間で、自ら退職を申し出ました。退職することに強い批判を受けた事務所もありましたが、もう逃げるしかないと考えて退職の意思を貫きました。

そしてやっと6年かけて税理士試験に合格。その際、今後を考えました。勤務税理士を目指しても、経験のわりに私の年齢が高いので、雇いたいと考える事務所はなかなか見つからないであろう。

そうであるなら、自分を大切にしてくれ、活躍の場を与えてくれる税理士事務所に出会うことは難しいどころか、きっとないのだと最終的に自分の中で結論づけました。

そこで、一念発起、独立税理士として生きていくことを決意し、平成22年、43歳のとき、顧問先ゼロで税理士事務所を開業しました。

3.厳しい状況でも後ろを振り返らないのは、振り返るものがないから。だから頑張れるのかも。

その後、予想通りと言っては何ですが、開業直後は顧客と出会うのに大変苦労しました。顧客と知り合う方法がわからず、いろいろな広告を出して失敗し、一定のお金を結果的にドブに捨てたこともありました。

ホームページを作成し、若干の問合せをいただくようになっても、価格でしか選ばれず、顧問契約をしても、結局もっと安い事務所を見つけられ、短期で解約になってしまうケースもありました。

その他諸々のこともあり、開業3年目ぐらいまでは本当につらいことが多かったですね。そんなときは、本当に落ち込みましたし、顧問先との解約に際し、顧客との関係が険悪になり、精神的にだいぶ追い詰められたこともありました。

また、仕事がある程度受注出来るようになってきた現在でも、難しい案件に直面すると、一人事務所ゆえ、最終的には自分ですべての責任をとらなければと強いプレッシャーを感じます。精神的に追い詰められる時もあり、本当にこの士業という仕事は厳しいなと思うときもあります。

ただもし、私が、自己実現を目指して税理士を目指すために、前向きに公務員を辞め、この業界に入っていたらどうでしょう?

夢をもって飛び込んだ世界で厳しい現実に直面して、公務員を辞めたことを後悔したかもしれないと思うのです。

一般的には、自分の夢に向けてステップアップのために仕事を変わるのはいいことだが、嫌で仕事を辞めるのは、逃げなので、それなら今の職場で頑張れという言葉もよく聞きます。

そう言われればなるほどと思うし、嫌で辞めようと思う自分を思いとどまる方も多いでしょう。決してその言葉を否定するわけではありません。

でも私は、今でも自分を守るためには、その時、逃げるしかなかったと思っています。公務員を辞めたのはもったいないと言われますが、辞めてからそう思ったことは、自分では一度もありません。

(正直に言えば、将来もらえる年金の額が自営と公務員では全く違うので、それに気付いた時は、権利を失って寂しいなと感じたことはありますが。)

また、もし税理士を目指している過程で、勤務した会計事務所が、私のことを大切にしてくれ、引き留めをしていただけるならどうだったでしょう。元来臆病な所があり独立に躊躇していた私は、きっと独立していなかったでしょう。

仮にそれでもどうしても独立したいと思って、引き留めを固辞して独立していたら、後ろを振り返る癖のある私(買物したときなどは後日後悔することも度々です。)は、困難に直面したときに、すぐ独立したことを後悔したかもしれないと思います。

でも、独立したこと自体を後悔したことは、独立してから一度もありません。

自分にとって、安定して勤務出来る税理士事務所は見つからなかったので、向いている向いていないにかかわらず、もう独立して生きていくしか、士業として生きていく道はなかったと思っているからです。

そう考えると、後ろを振り返ることがない状況であるというのは、何も悪いことばかりではないのかもしれません。

それはそれでつらい体験を経ていることになるのですが、そこから逃げてしまえば、もう生きていくためにはとにかく前を見るしかないのですから。

そして決して前向きに選択したものではなくても、独立開業した税理士になることで、自律の気持ち、決断力、前へ出る勇気などがほんの少しずつですが磨かれ、少しずつ精神的に成長出来ている気がしています。

まあそう考えると、よくない状況に置かれてそこから逃げたことで、結果として自分の性格上がんばれて、成長出来ている面があるのでは?そんなふうに考えた、疲れを少しでもまぎらわしたい本日の私でした。

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今西 学

今西 学

大阪の大東市(最寄駅:JR学研都市線の住道駅)で税理士事務所を開業中。(ホームページはこちら) このブログでは、税金・年金・お金の運用など日々の業務で気づいたことや、幼少の頃身体が弱かったことから常に健康で生きていきたいという思いで日々取りくんでいること等を記事にしています。 詳しくはこちら