みなさん。こんにちは。now3のアドレスでブログを更新している大東市の税理士・社労士の今西 学です。
本日、元阪急ブレーブスの監督であった上田利治氏が死去されたとのニュースを目にしました。
私は、今は応援しているプロ野球チームはないのですが、阪急ブレーブスがまだ在りし日は、父親の影響もあり、阪急ブレーブスの熱狂的なファンでした。謹んでご冥福をお祈りするとともに、小さいころ、いい思い出をいっぱいつくってくれた「名将」上田利治氏に心より感謝の気持ちを送りたいと思います。
1.野球少年だった幼少の頃
小さいときから、私は、熱烈な阪急ファンでした。今なら、関西でオリックスファンといえば、阪神より人気はないのはもちろんですが、それでもそれなりに人気あるチームで、それほど不思議がられることはないでしょう。
でも当時の阪急ブレーブスは、全く人気がなく、小学校の同級生はみな巨人か阪神のファンで、阪急ファンは誰一人いない状況でした。ただ本当に強いチームで、私が小学生であったときに、3年連続日本一になるなど、私にとってはあこがれの選手の多いとても強いチームでした。
父親に連れられて、よく西宮球場、大阪球場、日生球場に足を運んだものです。(今は、いずれの野球場も解体されなくなってしまいましたが・・・)父親も阪急ブレーブスが負けると、機嫌が悪くなる熱狂的なファンでしたが、私もそれに近いもので、阪急ブレーブスの勝ち負けに一喜一憂する、熱心と言うより熱狂的なファンでした。
亡き父親とも、子どもの頃、一番会話したのが阪急ブレーブスの話だったので、そういう意味でも自分にとっては大きな思い出となっています。
2.私の記憶の中では、阪急ブレーブスの監督は上田利治氏でした。
上田利治氏は、私が8歳のときに、阪急ブレーブスの監督になられて、その後、あの伝説となった日本シリーズのヤクルト大杉選手のホームラン判定に長時間抗議されたことの責任をとり、一度辞任されました。その後、二年間、梶本監督が指揮をとられたのですが、成績が今ひとつで、上田監督は再び監督に迎えられたのです。それからは私が大学4年生のとき、阪急ブレーブスが身売りされるまですっと阪急ブレーブスの監督として、指揮をとられていました。
上田利治氏のすごいところは、現役時代のプロ野球選手としてのキャリアはまったくといっていいほど、誇れるものはないにもかかわらず、引退後に努力を重ねられ、野球について深く勉強され、またその指導力で、大監督になられたことです。(現代では、現役時代のスター選手が監督になるケースが多いので、今の時代なら監督になれたかはわかりませんが。)
その後、日本ハムでも監督として指揮をとられ、その後は、あまり解説者としても見かけることはなかったです。阪神が弱かった時代に、阪神の監督になるという噂があったので、ぜひ名将としての能力を人気球団でみせてほしいと思っていましたが、結局は噂にすぎなかったのか、実現せずで終わりました。
3.オリックスが近鉄と合併したときにファンを止めました
私にとって阪急ブレーブスがオリックスに身売りしたことは、ものすごくショックな出来事でした。今では、阪急西宮ガーデンズに行くと、人がいっぱいで、大変にぎわっているのをみて、阪急電鉄が阪急ブレーブスの経営権を売却することで、西宮球場を再開発して活性化させた経営戦略は正解だったのかなと冷静に思えるのですが・・・。
その後も新しく引き継がれたオリックスブルーウェーブを引き続き応援し、田口選手やイチロー選手がいたときの二度のパリーグ優勝(うち一回は日本一)のときも応援していました。当時の私は、神戸市役所で、阪神大震災の復興の仕事に携わっていたこともあり、街全体で優勝を喜んだ記憶が鮮烈に残っています。
ただ、近鉄バッファローズとの合併が決まったときに、どうしても合併に納得出来ず、応援するのを一切やめました。阪急・オリックスと続いていた時代は、少し上品なイメージのある球団で、それがファンとして誇りであったのに、河内のイメージで、ファンのヤジも汚いイメージがある(失礼)近鉄バッファローズとの合併はどうしても納得出来ませんでした。
それ以上に納得出来なかったのは、オリックス経営者の「赤字の球団経営は、企業本体の収益から補填することになる。球団経営自体で黒字にならないと球団経営は出来ない」という趣旨の言葉でした。
オリックスは、球団を買収することで、どれだけ知名度をアップさせたことでしょう。よって、球団をもつことによるブランドイメージアップという恩恵をオリックスはかなりの程度受けたはずです。
球団単体の赤字というより、球団をもつことによる見えない貢献力がものすごくあったはずなのに、それを考慮せず、球団自体が赤字なら経営出来ないので、巨人を中心とした球団再編が必要という主張が許せなかったのです。
それならば新しい企業に経営を任せればいいのに、それも認めず、10球団でないとプロ野球経営が出来ないという主張の先頭にたったのがオリックスでした。大好きな球団がこの有名経営者のおもちゃにされている気がしたものです。
そのときから、オリックスファンを止め、むしろ今はアンチオリックスバッファローズになりました。今でも試合で負けているのを知ると「弱いチーム。ざまをみろ。」としつこく思い、合併が失敗だったと思い続けています。
とっても大好きなものを奪われたので、自分でもその怒りは執念深いと思います。ただ、かといって新しい別の球団のファンにはなれないのですね。だから、今でもプロ野球は好きだけど、贔屓のチームはない状態が続いています。
4.プロ野球の応援球団がなくなってよかったことも。
最近、どこの球団も観客をよぶ工夫をして、野球場を楽しい場所にしようとしていると思います。女性ファンも増えたようですし、球場のイメージもだいぶ明るくきれいな場所へと変わってきたと思います。そういう意味で、応援の仕方も含めて、野球を楽しく観戦出来るようになったのは、ファンの裾野が広がるので、とてもいいことだと思います。
私は、熱狂的な阪急ファンだったときは、野球を楽しむというより、勝負にこだわり、勝っては大笑いし、負けては悔しくて仕方がないという状態でした。一つの野球の球団に自分の人生の一部を支配されていたと言っても言い過ぎではなかいでしょう。今でも関西では、熱狂的な阪神ファンなどにそういうタイプの人がいるのではないでしょうか?応援球団がなくなった今は、プロ野球の試合にとらわれない時間をすごせるようになりました。
もし、阪急ブレーブスが阪急ブレ-ブスのまま今でも残っていたら、今は有料放送で、全試合動画で見れるので、きっとテレビにかじりつき、余暇の時間の多くをとられていたことでしょう。
贔屓のプロ野球球団が消滅してしまったことは、残念なことではありますが、自分の人生の時間が増えたという意味では、ケガの功名であったかもしれないなと思うこの頃です。
今西 学
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