みなさん。こんにちは。now3のアドレスでブログを更新している大東市の税理士・社労士の今西 学です。
本日夕方、道を歩いていると、私の通っているスポーツクラブのユニフォームを来た若いアルバイトであろう方が、団扇をくばっていました。新規入会者の呼び込み用なのでしょうが、既に入会している私も思わずいつもの癖で手にとってしまいました。
団扇は、これからの季節に一つあれば嬉しいのですが、今いろいろなところで配られているようで、今年二枚目です。そんなふうに団扇を集めてしまっている私が、普段、団扇も自然と集めてしまうにいたったわけを、お伝えしたいと思います。(もう、団扇はこれ以上は実用的には要らないのですが・・・。また自然と集めてしまうかもしれないお話です。)
1.ティッシュペーパーなどのチラシを積極的に受け取るようになるきっかけ
駅前とかで、お店の宣伝のためにチラシを配っていることは、よく見られる光景です。チラシだけでなく、ティッシュペーパーの中にチラシが入っているように景品とチラシを同時に配っているケースも多いと思います。
節約家(別の見方をすれば「せこい」人間)である私は、ティッシュペーパーなどの景品は受け取りたいかと言えば、受け取りたいです。でも、手を伸ばすなどの催促するのは恥ずかしいし、もし知った人が一緒にいたり、まわりにいたりしたら、少し恥ずかしいなという気持ちも持っていました。
ただ、最近は出来るだけ、恥ずかしがらずに堂々と受け取ることにしました。それは、7~8年前ぐらいでしょうか。ほぼ同年代の税理士のある方と一緒に歩いていたときに、聞かせてもらった考え方から学んだことです。ちなみに「もらえるものは何でももらっておきましょう」ではないですよ。行動はほぼその通りなのですが。
駅でティッシュペーパーなどのチラシを配っているのは、たいていアルバイトの方が多いことでしょう。その税理士の方は、一緒に歩いていたとき、私がその方を少し意識してとるのをためらったティッシュを堂々ととられました。
そこで、その税理士の方が「一生懸命声だして配っているのだし、ノルマがあって全部早く配らないといけないのだろうから、”ありがとう”と言って受けとってあげたらいいやん。」と、言われました。
なるほど知り合いに「せこい」人間と思われるのが恥ずかしいと思う気持ちで、冷たくその「お願いします」の声や差し出す手を無視して、通り過ぎるてしまった私でした。でも、一生懸命やっている配り手のことを考えれば、笑顔でとってあげれば、お互いハッピーなのかもしれません。
それからは、そういう場面に出くわしたら、どんなチラシが入っているのかに関係なく、「タイミングが合えば」ありがとうと言って、前向きに受けとることにしました。(「タイミングがあえば」ということで、わざわざ頼んでまでもらうわけではありませんよ。)
これは、あくまで私が実践していることで、ご了解を。受け取る、無視するはそれぞれの方の自由だと思いますし、自分が興味もっていてお客さんになりそうなお店だけにしぼってチラシをとるべきだという考え方もあるでしょう。
でも、自分にとっては、下向いたり、少し避けるようにしてわざと遠ざかるよりは、素直にもらって、「ありがとうございます」と言った方が、円滑な気がしています。ティッシュペーパーや団扇などの物も受け取れるし。
2.スーパーのレジでも気持ちよくを心がけています
飲み屋で、見知らぬ人に声をかけたりは絶対出来ないタイプの私ですが、でも、他にも軽いコミュニケーションをとった方が、円滑で気持ちよいかなと思う行動は、チラシをもらいだしたころから、するように心がけています。
例えば、スーバーのレジなどでも、多少レジ打ちの愛想が悪かったとしても、そこに行くことをやめるまでには至らないレベルの、スーパーの本質的価値ではない部分だと思います。ただやはりいい対応をされたら気持ちよくて、自律神経が安定して円滑に暮らしていけるというか、そういう部分はあると思うのです。
そしたら、こちらもお互いさまと思い、レジでかごを出すときは、こちらか「お願いします」と言ったり、おつりをもらったら「ありがとう」と言うことが習慣になりました。
話はそれますが、実はなぜ「ありがとう」なのかは不思議な気もしています。客とお店の人と考えれば、お客の方が「ありがとう」というのもおかしいかもしれないですよね。でも働いている人が一生懸命対応してくれれば、その人個人に対して丁寧に対応してくれて「ありがとう」と言ってもおかしくはないのかな、と今では解釈しています。他に使う言葉も思いつかないですしね。
3.私自身のアルバイト時代が原点かも
私自身も、学生のときは、3年半、店主一人とアルバイト一人という小さな定食やで、皿洗いだけでなく、注文聞きやレジ打ちなどの仕事をしていました。(今では考えられないかもしれませんが、食事付きで時給500円でしたが、腹一杯食べられるのが嬉しかったものです。)
そのときには、いろいろなお客様がいて、別に多少横柄でも腹がたつということは本当になかったのですが、やっぱり、レジで伝票をこちら側に向けて渡してくれる人、「ごちそうさま」と言ってくれる人などは、働いている私も心地よかった記憶があります。そのときの店主さんに、いろいろな人間がいるので観察して、いい人を見習ったらいいよみたいなことを言われていました。
社会に出てもそんな気持ちを忘れていたわけではありませんが、何となくコミニュケーションをとるのが恥ずかしいという気持ちがあったのも事実です。そういう部分が、最近年を重ねてなくなってきて、自然と出来るようになったのかなと思っています。
以上、本日、団扇をとったことを例として、お話させていただきました。
たまたま出逢った人とも、気持ちよくさりげないコミュニケーションをすれば、おたがい心地いいこともあると思います。
そんなことを書いてきましたが、私も完全に出来ている訳ではありません。よく乗り換えで利用する駅付近で、コンタクトレンズのチラシをチラシだけでよく配っているのですが、急いでいることもあり、またコンタクトは今の私に関係ないし、ティッシュ等の景品もついていないので、無視して通り過ぎることがあります。
時にはは受け取ることもあるのですが、コンタクトレンズのチラシをどう処理するのか迷うのですね。結局は、偉そうに書いてきました、「せこい」だけの人間が無理矢理に景品を受け取る理屈をつけているだけなのかもしれないですね。
今西 学
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